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神様のはなし



 合田博子先生(元兵庫県立大学環境人間学部教授。文化人類学・民俗学を専門とする。)にイロハのご指導をいただいたのをいいことに、いたるところの神社の神様のお話をその土地々で無責任にするようになっている。そうした話をするのは、その土地での神話の共有ができるかもしれないからであり、できたような気持ちを共有できればその土地の一員になれたような気がするからである。

 

 誤解を恐れずに書くと、明治時代にゴッドを「神」と翻訳したのはレボリューションを「革命」と翻訳したのと同じくらい誤りで、後の世代は混乱していると思っている。また、明治政府が神仏分離の廃仏棄釈を行い、国家神道を中央集権化した結果が現在に至っているので、あまり無邪気に土地の神様の話をしていると間違えることがあるため、十分に注意をいただきたい。わかりやすいかわからないが、本来のこの島国の信仰は多神教であって、外来の仏様であっても神様と習合してしまうものであったが、明治政府が目指した国家神道は天皇を中心とした一神教であった。戦後になっても権力者に利用される天皇家にとってはまことに面倒なことだと思う。どのように安寧を得て癒されるのか、こんがらがってしまって伊勢神宮に参拝するようにまでなっている。持統天皇以降、伊勢に参拝する天皇は絶えていなかったのに…である(以上は単なる個人的な気遣いなので、あしからす)。

 

 という上で、地域で神さまの話をしているのは、人間は理屈や論理で生きていないと考えているからである。ほとんどの場面で人間は感情に左右されている。その感情は、自分はどのような神話にもとづいているかによってスイッチが入ると観察していて、さらに集団が共感を得るためには、この同調圧力の強い島国の民に神話は効く。明治政府とGHQがやったことに無自覚である御仁は、これ以降は読まない方がよい。

 

 前置きが長くなった。それくらい地域の神話を扱うことには注意が必要である。にもかかわらず、また注意を書く。日本の神話は古事記や日本書紀から知ることができるが、それらは7世紀ごろの王権や貴族特権の正統性を語るための王権神話であり、その点では明治政府が採用した手口の出どころだといえる。また7世紀以降の統治権力の推移が地域にはあり、そこで祀られる神さまには歴史的な重層があることを想定しておいた方がいい。たとえば八幡神は中世の地域開発を主導した集団によって祀られているが、いまの名前が八幡神社であっても、「その前」の神話と信仰があったことを想像した方が良いことがある。たとえば九州人にとっての太宰府天満宮の祭神は菅原道真であるが、菅原さんが太宰府に来たのは9世紀であるから、それ以前には天神様は祀られていなかったのか、「菅原さんの以前の天神さま信仰」を想像することが地域の神話を語る時には必要だと考えている。

 日本書紀や古事記、風土記までが中央権力の正統性を語るのであれば、わたし達はどのように地域の民の自立の神話をみつけることができるのか、それはその神社の空間の配置であり、摂社末社としてひっそりと祀られる古い神々であったり、地域にのこる伝説や神話の掘り起こしであったりする。とにかくいまその地域で生きる人々が「そうだね」と共感ができて、いま生きている意味を得て未来を感じることができる神話を再構築しようとしている。

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