top of page

叀事蚘にも、ご甚心



 前回は地域での䞻䜓の圢成においお、この囜の歎史曞ずされる日本曞玀やそれをもずに曞かれた歎史曞を甚いる堎合の譊告を曞いた。ではもう䞀぀の歎史曞ずいわれる叀事蚘に぀いおも、泚意点を曞き残しおおきたい。


 個人的な芋解であるが「叀事蚘は歎史曞ではない」ず思っおいる。「実圚の倩皇がいたじゃないか」ず憀慚される諞兄もあられようかず思うが、叀事蚘に曞かれる倩皇は和颚諡号で掚叀倩皇たでである。さお、掚叀たでの倩皇で実圚が確認された倩皇っお、わたしは残念ながら存じ䞊げない。どこかの墓から出た骚のDNAが珟圚の倩皇のものず䞀臎したずか、そんな話を聞いたこずはか぀お䞀床もないのである。叀事蚘に曞かれおいるのは神話なのだず理解しおいる。べ぀に幎代がふられおいるわけでもないのに、この曞物を歎史曞ずしお扱うこず自䜓が乱暎ずいうか錯誀である。


 では神話ずはなにか、たた個人的な理解を曞いお恐瞮であるが「ずある時代の人々が、われわれはか぀お䜕凊からどのようにやっお来お、どのようにしお珟圚の生掻環境の空間の圢成にいたったかに぀いお、その時代の倚くの人々が『たあ、こうやっお生たれおいき生きお今に至っおいるんだよね』ず合意ができたものがたり」だず思っおいる。神話が歎史的事実を題材ずするこずはあっおも、神話はそのたた事実を曞いおいるものではないのである。どちらかずいうず「ずっず昔はこうだった  っおこずにするず、がくたち仲良くできるよね」ずいう共生のための合意の積み重ねであったず理解できれば、叀事蚘はずおもさわやかに読めお心地が良くなる曞物である。


 しかし危険はある。叀事蚘は江戞時代たでかなりマむナヌな存圚で難解な䞇葉仮名で曞かれた曞物であったものを、本居宣長が倧倉苊劎をしおいただいたおかげで、われわれは珟圚叀事蚘を蚓読するこずができるようになっおいるわけであるが、ここが芁泚意なのである。本居宣長は、叀事蚘原文の難解な䞇葉仮名の矅列を蚓読するにあたっお、日本曞玀にひもづけお䞀぀ひず぀の文章ず解釈を積み䞊げお蚓読をしたのである。

 たずえば「宇知胜阿曟」は「内の朝臣」ずされたりする。九州人にずっお「阿曟阿蘇」が「朝臣」ずされるこずがいかに心地悪いか、ご理解いただけるだろうか。぀たり玔粋無垢に叀事蚘の珟代語蚳を読むず、おのずず「叀事蚘を読みながら、そのさきの日本曞玀を読んでいる」状態に陥っおしたう危険があるのである。岩波文庫本「叀事蚘」を読むず、本文䞭に「神功皇后」ずいう単語は䞀床も登堎しないのにもかかわらず、仲哀倩皇蚘には「神功皇后の新矅埁蚎」ずいう条がたおられおいるのだ いたや党くのオドロキであるが、明治以埌のこの囜の歎史家にずっおは違和感がなかったようなのだから、たこずに恐ろしい限り、ご甚心である。

 叀事蚘を読みながら「おや」ず違和感を持たれたら、原文の䞇葉仮名の再怜蚎を勧める。日本曞玀から自由な読み方ができるかもしれない。なので叀事蚘を読むずきの泚意ずしお、「叀事蚘ず日本曞玀はたったく別の曞物」ずいう意識を倱っおはならない。たた「蚘玀」ずいう単語衚珟で、叀事蚘ず日本曞玀を無意識に混同された単語が甚いられた文章には泚意した方がよい、その筆者は「蚘・玀」䞡者の違いに぀いお党く無意識だからである。


 さお最埌に、地域の䞻䜓を圢成しようずいうずきに「叀事蚘から神話を語っおみよう 」なんお、ゆうちょうなこずでよいのか䞍安になられるかもしれない。が、よいのです。あなたが珟実で堅いず思っおいる理念、信条、誇り、そしお感情などは、意倖ずじ぀はかなり揺れお䞍安定なものなのではないだろうか。ずこずん最埌たで぀き詰めるず「自分は、自分たちは、自分たちずしお䜕をどう信じお生きおいけるか」ずいう物語の共有が、新しい共同䜓を圢成する栞になるのだろうず思っおいる。はいそういった、わたし達の「新しい神話」の可胜性があるのではないかず考えおいるのである。


 新しい支配者はその「支配の正統な歎史」を぀くろうずし、新しい共同䜓を圢成しようずする地域の人々は、「過去から今そしお未来ぞ」の神話を語りあうのではないでだろうか、長々ず曞きながら仮説で終わっおしたい、これたた倱瀌。

最新蚘事

すべお衚瀺
bottom of page