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この国の「歴史」には、ご用心 <その2>



 前回にひきつづき、なぜ? 現在でも「『日本書紀』は全部は棄てられず、後ろのほうの部分が命脈を保つ形」が危険でありつづけているのかを、『日本書紀』が編纂された七世紀~八世紀初めの日本列島周辺国に残る歴史書から読んでみたい。


 この当時の中国の旧唐書には、倭国と日本が別々に書かれている。

 日本書紀は「百済を愛し新羅を蔑視する」姿勢が貫通しているが、なんと旧唐書に書かれる倭国は「衣服の制、すこぶる新羅に類す(似ている)」と書き、最後の記録は「貞観二十二(684)年、新羅にことづけをして上表文をとどけ、ご機嫌をとった」と、親新羅な倭国をかいま見ることができる。

 

 では、旧唐書に書かれる日本では「自分たちの国土が大きいと自慢するが、信用のおける事実を挙げて質問には応じようとしない。だから中国では、彼らの言うことがどれだけ真実を伝えているのか疑わしい、と思っている(口語訳)」と書かれている。

 どうやら日本からの遣唐使は、それまでの倭国と中華の帝国との過去のやり取りについてわかっておらず、しどろもどろになった様子だ。その証拠に旧唐書のその後には「中国でもらった贈り物のすべてを投じて書籍を購入し、海を渡って帰って行った(口語訳)」と書かれている。唐皇帝からの贈り物をそのまま持ち帰らなかったことがよほど奇妙だったから歴史家は書き残したのだろうが、遣唐使たちにしてみたら中国と日本列島諸国の王たちとの歴史書を持ち帰って「次に唐に来るときには中華の帝国とのこれまでのお付き合いを整理して書き記す」ことが、帰国後急務であったのであろう。

 『日本書紀』の成立は養老4年(720年)とされているが、この遣唐使が唐に来たのは「玄宗の開元年間(713~741年)の初め」であるため、その完成にはこの時の遣唐使たちの影響があったとも考えられる。


 そして新唐書で日本は「いにしえの倭国」と書かれるようになり、別に倭国は書かれない。さらにツッコミどころ満載の天皇名をつらねているが、「次に用明、また目多利思比狐ともいい、隋の開皇末にあたる」と、日本史の教科書には書いてないことが書いてある。おそらく前回の遣唐使が「隋書に書かれている目多利思比狐ってどの天皇?」と聞かれたときに、最もしどろもどろだったのだろうと想像をする。

 そしてまたもこう書かれる「使者が真相を語らないのでこの日本という国号の由来は疑わしい。またその使者はいいかげんなことを言ってほらを吹き……」。この、中国人歴史家にとってまったく信用のおけない人たちのお友達によって書かれた歴史書が『日本書紀』なのである、ご用心である。


 そして「『日本書紀』のもっとも後ろのほうの部分」がこの『日本書紀』に長々と大海戦のように書かれる「白村江の戦」であるが、これを他国の歴史書はどのように書いているのだろうか。


★旧唐書 列伝劉仁軌伝『仁軌遇倭兵於白江之口 四戰捷』 

「血の海にしてやったぜ」と書かれますが、「たまたま倭兵に出くわしたので、… 」と、「たまたま」ってどういうことでしょう?


★列伝東夷百済国 『仁軌遇扶餘豐之衆於白江之口 四戰皆捷』

この書物では倭兵どころか、たまたま出くわしたのは扶餘豐之衆になっている。


さらにそれどころか、

★三国史記 百済本紀義慈王『遇倭人白江口 四戰皆克』

こちらでは、たまたま出くわしたのは、倭人。兵ではない民間人の虐殺になっている。


★新唐書 (百済の扶余)豊の衆、白村口に屯するも……

と国史に「倭」は書かれず、倭国なんて鼻にもかけてもらえない程度のイベントであった。


 ちなみに新羅本紀には「倭船千隻は白沙に停泊し、百済の精騎は岸の上からその船艦を守っていたのです」と書かれており、これまた海軍あつかいをされていない。『日本書紀』に書かれるような壮大な戦争って、唐でいつも大袈裟にほらを吹きまくっていた日本人が盛りにもった歴史記録だと理解をすることが妥当に思えるが、いかがだろうか。


 なぜなら、個人的にはこのイベントを盛大にするために、先行する成功事例として「神功皇后の三韓征伐」的なものが,『日本書紀』に書かれたように思える。だとすれば、先に書いたように『日本書紀』に由来する限り、「あってもない他国侵略」を契機とした主体形成が行われるという、不幸なこの国の「侵略と敗戦」のサイクルからは逃れられないのかもしれないからである。


 では、不幸のサイクルから逃れて自立するためには、どうすればよいのか。

「地域とわたし達の歴史(神話)」というものを、それぞれの土地の空間構造や生態系・地域に残る信仰などから、いまの人々が対話を重ね始めるということから始まるのではないか。

 わたし達の自立の歴史(神話・物語)を正しく語りあい、大袈裟なことだけではなく身近な事々を内省することから、わたし達の地域に根ざした主体の形成は、はじまるのだと思っている。

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