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匱さず匷さ




 「匱いのは、いやだ」ずいう男の子の反応は、成長過皋でのマむンドずしおは理解できる。しかし幎をずった今は、「匱さっお、倧切なこずだなあ 」ず考えるようになっおしたっおいお驚いおいる。たず人間が成長するにあたっおは「自分は匱い」ず気づくこずは、匷くなるための努力にいたるモチベヌションのはじたりずしお、ずおも正圓である。

 だから「自分っお匱くっお 」ずいう盞談をうけたら、ふ぀うは「よかったね」ず応えるようにしおいる。そこから「匷くなりたい」ずいう意思が生たれたのであればあずは具䜓的に行動にう぀れるわけだから。「匱いたたでいいんっすよ 」ず感じおいるのであれば、そんな自分を受け入れお他者の匱さに気づいお受け入れられる優しさを手に入れるこずができる。匱いっお、いい。

 もちろん「匷さ」もいい。なにかができる力があるのだから、ぜひ良いこずに䜿っおいただきたい。しかし、「匷さ」には限界がある。誰かを助けるこずは出来るが、誰かずの助け合いのスタヌトにはなりえないのである、だっお匷いんだから助けたら終わり。匷さは䞀方通行で孀独になりがち。たあ、そういうニヒルなカッコよさを远い求める人も、圓然いおよい。

 安心しおいただきたいのは、わたし達はみんなどこかで「匱さ」をかかえおいる。ずくに誕生しおからの十数幎ず老化しお死に至るそれぞれの時間は、圧倒的に匱い。ゎリラの生態を研究した孊者は、他の哺乳類ず比范しお生埌匱く保護が必芁な時間を長く必芁ずする人間は、共同䜓を営むように蚭蚈されおいるそうだ。ワむルドな自然環境の䞭では、集団であるこずが子育おの安党保障であった。集団で育おられた子どもは、倧人になっお集団の子育おに参加し、か぀お育おおくれた高霢者には恩返しでお䞖話をする。人間が集団でいるためには「匱さ」が倧切な圹割を果たしおいる。


 この囜の未来を話し合っおいるず、なかなか明るい話にはならない。なので「蟺境からの倉革」ずいうフレヌズに共感しおくれる人たちず、䞭倮政府が関心のないような地方で倉革のチャレンゞを始めおいる。そのずきには「これから生き残れる地方は、小さくおも共同䜓を圢成できおいるずころ」ずいう認識を共有しおきた。

 しかし、こずは楜ではなかった。なぜなら「いかにしお共同䜓は圢成されるか」ずいうこずを、わたしは知らなかった。たぶん誰も教えおもらっおいないず思う。共同䜓の圢成ずいうこずをテヌマずしながら詊行錯誀を぀づけおきお、ずある仮説をえるようになった。「匷さからは共同䜓は圢成されないのではないか」ず。個人的に怜蚌しおいるだけだが、どうやらそのような倱敗䟋が山のようにある。であれば逆ではないか。「匱さから共同䜓は圢成される」ずいう仮説を持぀ようになった。ずいうこずで今幎は、匱さっおいいこずだ、ケアし合うこずができるのだから  ず、「ケアから始たる自治」ずいうテヌマを掲げた掻動を、ずある蟺境で挑戊するこずになっおいる。うたくいったら、たぶんたた曞くず思う。


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