雨と、主体の形成

更新日:6月21日



 雨水をためるNPOの活動をしていたことがある。この島国の都市化した地域でふつうに暮らすということは、地域外の水源からの水で生活をしていながらも、降雨をすばやく下水道から河川に流れ去って都市型の水害を発生させている主体と無意識的になっているということである。この「無意識に主体となっている」ということが昨今のこの国がおかしくなっている原因の一つになっているのではないか、と考えている。無意識な主体であるのだから、責任をとらなくていい、見てみないふりをする、政治にも無意識な主権者であり、難しいことはよくわからないからといって議論をするわけではなく意識を飛ばして主体をなかったことにしている。なんだか、そんな感じにみえる。

 「雨水をためる活動の、よいところは何ですか?」と当時聞かれていたときには、こう応えていた「小学校低学年レベルの感動です、空っぽのタンクが雨が降ると満水になっている、ワォ!な感じです」と。意味不明かもしれませんが今ふり返ると、「このときに私の主体は形成されたのだなあ… 」と思っている。

 雨は水の循環系の一部であり、わたしのタンクに雨水がたまるということは、わたしが水の循環に直接接しているという体験であって、逃れられない主体の意識化であったのだと振り返っている。わたしは地域社会の水問題の一員である、という主体の形成であった。

 

 「地域の未来のために小水力発電を導入したい」という人達と出会う仕事をしていると、地域で発電事業を行う主体の形成の過程を並走する経験をさせてもらっている。小水力発電の可能性のある源流域で暮らしている人たちにとって地域の水は、まだまだ主体的に関わることとして存在している。ただし、地域社会で困難になっている社会経済や政治などの課題には無意識的になりつつあることもあっているが、地域で小水力発電を導入することによってそれらの課題を解決する可能性が生じるということの理解と共有が、個々人の主体の意識化をすすめ、その事業組織としての主体を形成しているようである。

 こうした主体を形成できる山村の方々をさらに「すごいなあ…」と感心するのは、「みんなで協力したら、何とかなるだろう」という合意が暗黙の裡に共有されていることである。これが事業組織としての主体の形成に有利に働いていることは、否定できない。この合意に欠ける都市では、これまで経験した手法が有効に応用することは難しいと個人的には考えてきた。しかしこの文章を書いていて、もし何か都市で生活をする「無意識の主体」であるような方から地域の主体形成のオファーがあったときには、「じゃあ、まず雨水をためてみましょうね」とお応えするのが正しいのだろうと理解をしました。


文責 山下輝和



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