地域でのプロジェクトに取り組むにあたって、東京工業大学名誉教授の桑子敏雄先生の説かれる「空間の履歴」という概念を重要視している。履歴とは、「現在に属し、過去に由来し、未来に対して開かれているもの」であり、小水力発電の開発は現在に属するが、地域の意識は過去の由来にもとづいていて、未来への希望を開発するプロジェクトである。だから、地域を開拓・管理しつづけてきた先人達を尊重し、未来の次世代に新しい価値を残そうとする、現在の地域の人々の物語が共有されるのが、理想的なプロジェクト形成であると考えている。
そうした先人の知恵や営みは、言語としては残っていなくとも、その地域空間に存在する神社とその配置や伝統の祭りなどから読みとることができる。そういった読み解きを「憶測ですがひょっとして…」と地域の方々との対話の中で検証するプロセスは、たとえ当たってはいなくても地域への理解と共感を深めることになることが多いので、紹介する。
ところでなぜ、神社にお参りをするのだろうか。個人的な見解で恐縮だが、それは「願いが叶うから」だと理解している。ただそれは、今どきの神社が掲げる金運アップや縁結びといった欲望の達成なのではなく、かつてそれぞれの地域の神社で掲げられていた「五穀豊穣・家内安全」といったものであり、正しくは神社にお参りするのは「かつて願いが叶っていたから」という理解である。
山や川、谷や扇状地などの地形がある空間の中のどの位置に神社が配置されているかによって、空間の意味を読み解くことができる。たとえば福岡の筥崎宮は、かつての宇美川河口のラグーンに位置していて明らかに湊(みなと)である。とはいえ八幡神は必ずしも海神ではないが、晴れた日に国道三号線の反対側から一の鳥居を仰いでほしい。鳥居の中に社殿があるが、じつはその背後にはとある山をきれいにとらえている。この山の反対側の山麓には筥崎宮の元宮といわれる筑前大分八幡宮がある。八幡信仰は中世の国土開発ムーブメントだと理解すれば、筑前の八幡勢力の生産物を集積して海洋運輸を行う拠点であったことが想像されたりする。筥崎宮の放生会はこのネットワークを再確認する祭りだったのかもしれない。また博多祇園山笠はその由来として疫病退散のために祈祷水をまいたのが起源とされている。(出典:ふくおか文化財だよりvol.27)
博多祇園山笠の期間は梅雨の出水期であり、古老の話では「どんなに渇水があっても水を撒くのはやめ無い」という。海沿いの砂丘に開発された博多の町は、大雨が降ると冠水することがあったのだろう。昔のトイレは冠水すると汚水が上がってきて汚染が伝染病のもとになってしまう。だから梅雨に山笠をかく時には水をバンバンまくことで、祭りは「この季節に街を清浄に保つ」という社会的役割をはたしているのではないか、また撒く水は「きおい水」とよばれるが、これは「勢い水」だけでなく「清い水」という意味も実はあったのではないか… という会話をベテラン山のぼせの古老と話しあったことを思い出す。
神社には特定の神様が祭神として祀られている。古の人が八百万の神々から選んだ理由があったハズである。その神様の書かれている神話を紐解いてみて、かつてどんな筋書きで地域の人々は自分たちの空間に神のご加護があるのかを物語り共有したのか、こうしたことを想像し語り合うことは、けっこうわたし達がその地域の未来を語るベースとしてまっとうなことだと考えている。
Comments