岡田真美子先生(兵庫県立大学名誉教授。哲学、倫理学、仏教学を専門とする。)に法華経ゼミでお教えをいただいてから、確信をするようになった。
かつては聖徳太子が、近い所では宮沢賢治が活動の柱とされていたとされる法華経。これは、「いきづまりの時代に、ボトムアップによる変革を生じさせる社会技術」である。
社会がよくなるためには、神様や仏様に祈るのではない。われわれが変わるのである。
時代はいきづまり、社会環境は悪化をたどる。どこかに新天地を求めるのではない。いまのここからどうやったら、われわれから変われるのか。
出会う人すべてに「あなたを尊重します。私は決してあなたを軽んじません。なぜなら、あなたは仏になられる方だからです。」と唱えて拝み手を合わせる。この修行を生涯貫いた人物が常不軽菩薩として法華経で描かれている。
さすがに気持ち悪がられて石を投げられることもあるが、そんなときはササっと石が届かない距離を離れて「あなたを尊重します。私は決してあなたを軽んじません。なぜなら、あなたは仏になられる方だからです。」と再び唱えて拝み手を合わせるという芸の無さ。
宮沢賢治が雨ニモマケズでうたったデクノボーは、この常不軽菩薩だったといわれる。
岡田先生は法華経という名を表すサンスクリット語は「正しい/善い‐教え‐白蓮‐経」なのだと説かれ、蓮のように「大地に根ざし、土まみれ」な中から白く清浄な花を咲かせる蓮のようであると説かれ、示されるロールモデルはアンチヒーローであるという。
久しぶりにググってみると、
平凡退屈で無能な主人公が登場し,アンチ・ヒーローなどと呼ばれたが,彼らも主人公たることによって,レールモントフの言う〈現代の英雄〉たりえている。《異邦人》(カミュ)におけるように,かりに受動性の哲学を体現しているかに見えても,主人公はつねに物語を成立させる動的要素を代表するからである。…
なるほど、このような先人がいたのである。私もそのようでありたい、がんばろう。
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