リバー・ヴィレッジ創世記



 島谷先生に「九大で修業してみなさい」とIUターン研究で研究員として雇用され、四年間の研究期間が終わりを迎える頃には、さてこれからどうしようか…、とか考えてはいた。

 しかし、リバー・ヴィレッジ創業の際に自分の立場がどのようであったのか記憶は定かではない。村川さんから創業の相談を受けて「設立の志を立ててください」と、ソニーの設立趣意書を手渡したことは記憶している。このころには宮崎県大人集落の方々から問い合わせを受けていた。現地ではおきて破りの、町役場も県庁も通さない農林水産省の補助金申請をしていて、10月か11月頃からあたふたと可能性調査をしていた。それで翌3月に大人用水組合の総会で可能性調査の報告をして、次年度に基本設計や資金調達へと進む決議を行うこととなっていた。そのときに「国の資金を使って、来年度さらに調査をすることには異存はない。しかし、その調査の結果がでるであろう来年の総会で小水力発電施設着工への決議をするときには、多数決をもって決めるのか、どうなのか」という意見が出たのに対して、推進派の住民がハッと手を挙げて「多数決は、いたしません。全員一致でなくてはなりません。全員が一致できるような調査設計を来年はいたしたいと思います」と発言をされて、拍手の中で総会を終えた。

 総会のあと、島谷先生に「この国の人々は、まだまだ捨てたものではありませんね…」とか話していた時に、村川さんが島谷先生に「山下さんをRiviにください!」と言い出して、おいおいオレの自由はどこにある…、と内心感じていたことは、記憶している。


 IUターンの研究は、「地域住民の主体による再生可能エネルギーの開発から地域課題への投資を促してよい未来をめざす」という動きを生んだ。大学は研究を目的とするので、地域の人々へ研究成果を還元するために九大研究からスピンアウトしてリバー・ヴィレッジという大学発ベンチャー企業は生まれた。ただそれをまだ若い村川さんに丸投げするのはいかがなものか、まあ役に立つなら手伝いますよ…、というのが正直なところであったと記憶している。

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